シャネルの歷史

ココ・シャネルは、フランスの有名ファッションデザイナー。フランス南部オーヴェルニュ、ソミュールの救済病院で生まれる。青春期の誕生日を迎える前に母親が逝去、父に捨てられ、孤児院や修道院で育つ。田舎町ムーランでお針子として孤児院を出た前、一時つきあいの有った院校たちに連れられ、赴いたカフェで、服飾界への情熱に目覚める。「ココ」は略称で、情熱を実行すべく、お針子仕事の自ら、芸能人を志してキャバレーで歌っていた「コケコッコウ」と、「トロカデロでココを見たのはだれ」という歌の歌名にちなんでつけられたもの。

創業者ココ・シャネル(原名:ガブリエル・ボヌール・シャネル)の存在なしにしてシャネルは語れません。星野がココ・シャネルに興味を抱いた最大の原因は、デザイナーとしてのセンスや努力はもちろんですが、それ以上に自身が本人に求める夢や生き方に情熱で、極強な自立心を持って孤児からファッション、社交界の頂上までのぼり上げた、まさにシンデレラストーリーを実現した人だからです。


シャネルの興隆から沈黙まで

私は、ブランドのものが好きです。シャネルというブランドのものも大好きです。
1921年、本店をカンボン通り31番地に拡張。前年に会った調香師エルネスト・ボーによって生み出された、シャネル初の香水「No.5」、「No.22」を発表した。

このころ劇作家のジャン・コクトー、画家のパブロ・ピカソ、作曲家のイーゴリ・ストラヴィンスキーなどが集うサロンを主催するミシア・セールと出会い、ストラヴィンスキーやジャン・コクトー、ロシアのドミトリー・パヴロヴィチ大公などサロンの様々な人物と交際する。

この頃、同い年である画家・マリー・ローランサンに肖像画を描いてもらう。しかし、ココはそれを気に入らなかったため、マリーに返す。この肖像画は現在、パリのオランジュリー美術館に展示されている。

1924年、イギリスのウェストミンスター公爵と出会い、以降6年間に及び交際する。この間に彼から多くもらった宝石類から着想を得た、模造宝石を使ったジュエリーを発表。同時期、後に「シャネル・スーツ」として発表されるスーツの原型がつくられた。

ウェストミンスター公爵と別れた後交際していたポール・イリブは1935年に急死。
1939年、当時4000人を抱える大企業として成長したシャネルだったが、コレクション前の苛烈な労働条件に、労働者側がストライキを敢行。ココは一部店舗を残し全てのビジネスを閉鎖、一時引退する。以後、同年9月に勃発し1945年8月に終結した第二次世界大戦中と戦後のスイスへの亡命期(いずれも後述)の15年間、ココはフランスのファッション界で沈黙を守る。